平和で圧倒的な何か

2008年01月12日 公開

とある物書きのページで、ガツンときた。

「真っ向勝負じゃなくて、平和で圧倒的な方法で、状況をひっくり返す、っていうほうがよくないですか?」

……コトバにすると、そーゆーコト。コトバにしなくても、感覚では何となく解っている。でも、それでも負け戦と解っているのに真っ向勝負に出たがるこの気持ちは何なんだろう? だいたい、何事においても真っ向勝負→撃沈、を繰り返しているような気がする。そもそも、言葉では「勝負に出る」だが、勝とうという意志が全く無いんだった。勝つつもりもなく勝負に出れば、そりゃ負けるさ。

ルー大柴さん風に言えば、「ピースフル(peaceful)でオーバーウェルミング(overwhelming)なメソッド(method)で」ってコトか。無理そうだけれども、どのようにしたら圧倒的なのか、考えてみる価値はありそう。

相撲の行司のことを「行事」って書いた川柳を見たからといって、いちいちツッ込まないようにするところから始めなくちゃ。

作為的習字展

内容がどうも作為的なんぢゃないかと思わせる習字展があったとしたらどう? このような手法は真っ向勝負ではないように思いますけれども、平和で圧倒的な何かでもなさそうな感じがします。どちらかというと、洗脳? 写真の構図も「安心」が多めなのが作為的なんぢゃなかろうか、と勘ぐってしまいます。

いやいや、そんなところでいちいち立ち止まっていないで受け流すことから始めるべきだ。負け戦に手を出す習慣がついているというか、もしかして負けることが快感になってないか? 我が振り直します!!

平和ぢゃなくても圧倒的だったら、世の中に結構ありそうなんだが。

圧倒的な写真

……圧倒的っ!!

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