デザインに対する哲学

2009年02月04日 公開

モノのデザインというのは、デザインするヒトだけでは成立しないものです。他には、クライアントの理解とか、予算とか、その他のオトナの都合だったり。

近頃は、何でもその時の金額を下げることに注力するあまり、デザインはほどほどだったりすることがあります。また、施工が簡単な方法ということで、三次元のモノを切ったり貼ったりせずに、インクジェットでシート出力して、立体的に見せるための影まであらかじめ付けておく、ということもよくあります。

理由としては、施工が簡単で工期が短いことのほか、その場所でその商売を長く続けるわけではない、という傾向もモノを語っているのではないかとも思われます。残念です。

今にも取り壊されようとしている都営住宅(?)の壁に、こんなモノがくっついていました。

たぶん都営住宅

おそらく、棟番号18を示していると思われるアイアンのオブジェ。そういえば、こういうの、たくさんありましたよねー。小さいタイルで番号をモザイク表示したり。イマドキなら、簡単にペイントかカッティングシートなどで済まされちゃう案件かもしれません。

このプレートも、鉄くずとして処理されちゃうんでしょうね。どっかグラフィックデザインとかアーキテクトデザインとかの巨匠が、1から順にあるだけ譲り受けたりして、何かに再利用したりしないものなのでしょうか。──あり得ませんね。そこだけ別に撤去する費用、どこかへ運搬する運賃、どこかへしまっておく賃料。

せめて、このようなデザインが成立した時代があったということを、忘れないように書き留めておくことにします。

あー、手書きの筆文字で進めてたのに、東京から偉い教授が来て「手書き? だめ。全部明朝体でカッティングシートで」って理由も告げずに指令したのを思い出した。

.