群馬県民の日!

2009年10月28日 公開

群馬県民の日が10月28日って知っている群馬県民も少ないことでしょう。知ってたけど忘れてたヒトもそこそこおられることでしょう。ついさっき、SLの汽笛が遠くで聞こえて「おっと、今日はSLが横川へ行く日だったっけな?」って思い出したところでした。

旅行会社も県民の日にはわりと敏感で、関東地方くらいだとだいたい「県民の日には、千葉にある東京ネズミーナントカに行こう」のツアーが多く組まれたりするものです。

都道府県の記念日といえば、何となくその都道府県が成立した節目を記念していると想像できますが、群馬県民の日もだいたいそんなようなもののようです。

県制定といえば明治時代の廃藩置県。その後、離合を繰り返し現在の形になったわけですが、群馬の場合は上野国(かみつけのくに)8藩がひとまとめになって群馬県となったそうです。それが明治4年10月28日なので、10月28日を群馬県民の日として、昭和58年に制定したそうです。

制定されたのは、ずいぶんと最近の話ですな。明治4年は旧暦ですけど、県民の日が旧暦を太陽暦に換算した12月になると、冬ごもりの群馬県北部ではたいへんなので、天候も安定しているし10月にしとくか! ということのようですね。

ちなみに、廃藩置県に伴う県政スタート時には、山田郡・邑楽郡・新田郡は栃木県でした。——っていう情報は知ってますけど、山田郡と邑楽郡と新田郡って、具体的にどこなのさ! と思って、間違えているのを承知の上で図示してみる。

地図

地図上で着色されたあたりが山田郡・邑楽郡・新田郡じゃないかと思います(新田郡ってもっと西の方に張り出していたかもしれませんが)。このあたりがはじめは栃木で、離合が進むうちにあとから群馬県になった部分ですね。

そのほかにも、栃木県のヘリが群馬県に越境合併したり、群馬県が栃木県に越境合併したりして、現在の群馬県の形になったようです。

【リンク】ウィキペディア(越境合併)

で、箱物大好きな傾向はいつごろ出現したかということについては、県民の日の由来を調べてもわかりませんでした。昭和の話だろうか?

もっと詳しく、正確で信憑性が高く責任者の判がついてあるものが必要であるならば、群馬県庁生活文化部県民生活課へお訊ねください。

【リンク】群馬県庁 http://www.pref.gunma.jp/cts/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23735

新田郡とか言われたって、知ってるヒトしか知らない情報なのに、どこの部分が新田郡なのかねぇ?

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