喪中ハガキの謎

2010年12月29日 公開

さて、年賀状の用意はできましたか? 今頃になって慌てて書くくらいならば、ちゃんと元旦に書いた方がいいんじゃなかろうか? とか思っています。

この頃では、虚礼廃止を盾に年賀状を差し出すことを取り止める個人・企業・団体等が増えてきたとか伝え聞きます。ってコトは、あれ虚礼だったの!? 虚礼なら要らないけれども、フォトピエールとしてはいつでもフルスロットルです。あれー、「フルスロットル」は流行語にならなかったんですね。うむ。古すぎか。

さて、年末になるとちょいちょい届く郵便物が、喪中ハガキ。

喪中ハガキ

身内に不幸がありましたので、年始のあいさつを省略します、ごめんなさい。でも今後もよろしくね! ……という内容だ。そもそも賀状とは、いちいち挨拶に行かれないので、略式にハガキで御免、というものだ。ハガキが一般化するまでは、それでも書状を送って年始の挨拶とする習慣が明治頃まで、平安時代頃から? あったとかいう話です。

そして、喪中ハガキですよ。

ところで、喪中ハガキって何なん?

おさらいしよう。喪中を知らせるハガキは、こういうことだ。

  • 今年、身内に不幸があったことを報せる
  • だからそういうわけで喪に服しています
  • お正月に挨拶に行きませんし、年始の挨拶に類する年賀状も出しません
  • でも、あなたのことを忘れたりしているわけではないので、今後もよろしくね!

っつーか、亡くなったときに報せてよね」とかいうのはナシとしても、これを乱れたニッポン語で書くから、だんだん意味がわからなくなってくる。たとえば、うちでいつぞや頂戴した喪中ハガキの文例。

喪中につき年末年始の
ご挨拶をご遠慮申し上げます

丁寧に挨拶しようとして、「ご」を連発するあまり、いったいそれが自分の行為なのか相手の行為なのかがごちゃまぜになっている。「ご挨拶をご遠慮申し上げます」と言っても、挨拶しないのは喪中の本人なんだから、その「ご」は要りますかね。でも「ご」が付いていると何となく丁寧な感じがして安心感があるのだけれども、「ご」が付いていることで「挨拶」するのが自分の行為ではなく相手の行為のようにうっすら感じたりしているのだろう。そして、このような乱れたニッポン語がフツーに流通するにつけ、喪中ハガキに新たな意味が付け加わっている。

  • 年賀状拒否

「こちらから挨拶しないけど、ごめんなさい」の挨拶がいつのまにか

だから『おめでとう』とか年賀状送って来ないでね。察しろよ

という意味が付け加わっているようなのです。知恵袋的なネットでの質問に対する回答もだいたいそのような空気感に満ちています。

でも、そんなことないですよねー、年賀状を送る方が間違っているのではなくて喪中なのに年賀状を送って来やがって!と怒っている方が間違っている……とか言いつつも、出す側が「喪中ハガキを送ったのに年賀状を送ってきたあいつは非常識だ」と思うんでしょう。このようにして、ちょっとずつ習慣や民俗が変遷しつつ現代があるわけなので、その間違えにモーレツにツッコミを入れるのではなく、穏やかに反論してみたいです。

そのコトをストレートに指摘したって、相手は混乱するか怒り出すかだと思いますので、喪中ハガキを頂戴したら、内容は全く同じなのに「寒中見舞」として差し出しましょう。そうすることで、こちらの近況もお報せできますし、今後も末永くおつきあいを頼むという挨拶もできます。

この際、仕方がないです。「喪中ハガキ」には暗に、年賀状拒否宣言も含まれていると解釈し、寒中見舞いを差し出しましょう。

で、そういうことを言い始めると、今度は「寒中見舞いは寒の内に出すものであって、だから小寒から立春の前までに出すモノだ」「松の内はそーゆーのを出すモノではないのだ」とか、細々としたことを言い出すヒトまで出現してきます。ややこしい。だったら、初めから年賀状を出すことにしておけばよいのに。

喪中ハガキを出したヒト宛の年賀状がNGと、コトの発端から間違ってるんだから、いいんじゃないの? その後のこともちょっとずつ間違ってたって。

出だしが間違えると、どこまでも間違え続ける

年始のあいさつは、相手がおめでたいのではなくて、年が明けたことがおめでたいわけです。「おめでとうございます」って挨拶をして「ありがとうございます」じゃなくて「おめでとうございます」って返します。なのに相手に「あけましておめでとうございます」って差し出すのが失礼とかいう発想が、不思議。それで、お誕生日が来ればおめでとうとか言うよね? それは失礼にあたるとか怒り出すヒトはいませんよね? なんとなく結婚式はやらない風俗がまだまだ根強いみたいですけど。

そういえば、喪中欠礼の挨拶はハガキしか受けたことがない。メールで来たことないぞ?

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