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坂口恭平さんの著書 2連発


友人が送ってきてくれた2冊の文庫本。片方は著者自身が研究して惹かれた特定のホームレスのホームについてのドキュメンタリー「TOKYO 0円ハウス0円生活」。そして他方は、その取材を通して視線をホームレス氏に移して書かれたフィクション「隅田川のエジソン」。

TOKYO 0円ハウス0円生活、隅田川のエジソン:坂口恭平著

これらの著書は、映画「MY HOUSE」の原作となっている。

ジェントルマンで、好人物で、社交的で、うまくやってるホームレスにたまたま巡り会ったことでホームレスハウスをより詳しく調べることができ、路上生活ハウスを知るうちにその人柄や生活にも興味を拡げてしまった著者の坂口氏。氏は、撮り溜めた写真で写真集を出版し、パリやロンドンにまで行って売り歩き、カナダかどこかの美術館で個展も開いたらしい。

オモシロいヒトが、オモシロいヒトたちと繋がり、オモシロいコトを運んで来たといった感じだ。

隅田川のエジソン

隅田川のエジソン 先に読んだのがこちら。著者の主な取材人物をモデルに描かれた世界。内容はともかく、その文体に馴染めず苦労した。文章に余計な情報が多すぎて、ストーリーに入り込めないのだ。ただ、言いたいことはだいたいわかった……ような気がした。この頃、話題になる小説はそこそこあるものの読み進められないのは、そういうところなんじゃないかと思います。ストーリーの展開とか構想は悪くないのに、文章がよろしくない。「小説という体を為す前段階の構想メモか?」というまま出版されちゃう小説は、「この写真はアタリなんじゃないの?」というまま出てくる広告の写真みたいな感じがして、うすら寒い。

悪文だという意味ではヒトのこと言えた義理じゃないけどね! しかし、都合により、悪文に対しての寛容さはないのです。ごめん。わがままで。

ストーリーとしては、ある日突然仕方なく言問橋下で寝ることになった男が、路上生活者としてたくましく「0円生活」をする、という話。それはまるで、コンクリートジャングルで暮らす狩猟採取生活なのです。狙った獲物は礼儀正しく筋を通して手中に収め、余れば仲間に分け与える。明るく楽しそうなのは、その生活が豊かで楽しいからか。そもそも豊かさって何なのか。

それにしても、こんな工夫してうまーくやってるホームレスなんかいるのかね? と思った。何事もうまくできすぎているんじゃないか——まあフィクションだし、いっか。なんつって。

TOKYO 0円ハウス 0円生活

TOKYO 0円ハウス 0円生活

「隅田川……」を読了したら、追いかけるようにこちらが送られてきた。読んでみると、「隅田川……」と内容がほとんど重なっており、あのフィクションはかなり事実に基づいたリアルなフィクションだったのか、と実感した。そして、事実を事実通りに書くのが上手なのか、読んでいるこちらが慣れちゃったのか、読み進めるのに苦労することはほとんどなかった。

また、「隅田川……」によってある程度は隅田川のホームレス事情について情報を得られていたので「あれは、こういうことだったのか」と理解が深まったりもした。「こんな工夫してうまーくやってるホームレスなんかいるのかね?」という疑問も「ああ、ホントにやってるのか!」とわかる。これ、セットで読むと面白いですね。きっと。読む順番も、後で良かったかも。

そして、家のこと、生活のこと、著者のことを順番に繋げていって、さらに未来にはどうなるべきなのか? ということの向かっている。

偉いなと思うのは、こうやってのめり込んで行くと「じゃあ自分も!」と、ブルーシートハウスを造って住んじゃうというタイプではないということ。対象と距離をおき、「あちら側」と「こちら側」を使い分けているようです。このごろは、曖昧さとかゆるさに注目されることがあるけれど、著者は自分の立場をガヂガヂに固めずに、ゆるゆると関わっているように見える。

象徴的なブルー

映画 MY HOUSE写真集の表紙もブルー、映画のタイトルもブルー。これって、ブルーシートを象徴しているようです。これについては、実物も写真も見ていないので実感として湧いてこないのです。写真集とか、なにか映像を見るとその「ブルーシート感」が実感できるのかもしれません。この映画はつい先日2012年5月26日から公開されているそうです。

【リンク】

働くこと、暮らすこと、生きるということ

たとえば、生活するために労働する。その労働は現在では「就職する」という言い方となり、就職できなければ労働できないと考えられがちだがそれは違う。就職するだけが労働ではなく、路上生活者が空き缶を集めるのだって労働だし、会社を経営するのも労働だ。ただ、この就職難の時代に、みんな、労働をしたいとかそういうことじゃなくて就職したいだけのように見えてならないのです。

会社に正社員として所属していれば、失敗してもヘマやっても毎月決められただけの金額の給与がもらえる、そんな生活をしたいだけなのでしょうか。

もっと、意欲的に労働するということがあってもよいのではないでしょうか。意欲的に労働するためには、「就職する」というアクションのほかにも、起業したり営農したりというのも手段であるはずなのに、それについて勧めるヒトもそこを目指すヒトも殆どいないようです。

家については、「新居を購入」という言い方が違和感なく伝わるように、それはただの消費活動の一環でしかないようです。そして、購入しちゃったらあとはメンテナンスフリーでなきゃだめ。メンテナンスをするときは、即ち改築であり、反対に言えば、改築するまで手入れなんて何もしないことを目指している。おかしい。

これらのおかしさを、もっとわかりやすく説明したいのだけれども、言葉が見あたらないのでいつももやもやしています。


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