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富岡製糸工場の取水口遺構らしき何か


グンマーの一部でちょっとだけ話題になった「富岡製糸工場の取水口の遺構か?」というニュース。ツイッターのタイムラインにちらりと出て来てそれきりだったのですぐに忘れたが、それってどんなんなん? と思ったのでニュース検索してみた。

出て来たのはヨミウリオンライン。わりとしっかりと本文が書かれていたが、写真ナシ。他に検索されたページは、このヨミウリオンラインを引用したり丸写しして広告表示したりというものだけだったのだが、みんなどんな姿なのか気にならないのかね? ならないよね。

というわけで、気になるので見てきた。

富岡製糸工場南側(鏑川沿い)

遺産を保護するというのはコンクリートで固めることです。

上部は何年も前に固められていて、その下部がさらに崩れたので新たに固めている途中のようです。下部上流側(画面左側)から下流側に向かって工事が進められる過程で「これは製糸場の何かだったんじゃね?」と作業員が気づいたのでしょう。

富岡製糸工場南側(鏑川沿い)取水口跡と見られるなにかたしかに「何かの遺構である」ということはハッキリと見てわかる。レンガは打ち棄てられているだけのようにも見えなく無いが、鏑川の対岸から眺めているのでそう見えるだけだと思います。丸石を積んだ形跡だけからもこの前後で何かをしていた跡であることは確かだろう。100年前は水位が今とは違ってもっと上で、それが浸食されて水位が下がっているのかもしれません。随分前に施工したと見られる崩れなかった上部も、ほじくり返すと何かが出て来たりするかもしれませんね。

ただ、それが世界的に保護しなきゃならない遺産かというと、気分的にはビミョー。国内の工業を語る上でははずせない遺構とは思うけど。

地層?富岡製糸工場の敷地をはずれた上流側に見えるのは、たんなる地層ですかね? それともこれも何かを積んだ跡なんでしょうか。そういう知識が足りないので、どなたかに補足してもらいたい感じがします。

世界文化遺産への登録推薦が決まっている群馬県の富岡製糸場(富岡市)の川に面した敷地周縁部から、大正時代の取水口の可能性が高い新たな遺構が見つかった。

(略)

見つかった遺構は製糸場南側の鏑川(かぶらがわ)に面した護岸の中央付近。敷地の高さから8メートルほど川に降りた地点に配管の穴があり、さらにその周囲は幅3メートル以上にわたって赤レンガで補強されている。

(略)

 毎日各工程で数トンの水を使用する製糸場への取水は、創業当初、主に数百メートル西に離れた高田川から送水管を引き込んで行われた。しかし水質が悪く、製糸場の技術指導者だったフランス人技師、ポール・ブリューナは「大量の濁りのない軟水を取り込むことが必要だ」と強く進言したことが知られてきた。

 敷地の南に格好の条件を有する鏑川が流れており、昭和初期の文献にただ1か所、「大正七年(1918年)、南崖にガソリン・ポンプで鏑川の水を利用、同十一年十馬力電気動力をもってする」とあるが、実態については長年の謎だった。

 一昨年、西側の建物の脇から配管の一部らしき溝も見つかっており、今回の取水口の発見により、製糸場敷地の地下を縦横に巡る水路についても明らかになるとみられている。

(略)同市教委は「この遺構部分を含めて指定範囲を広げ、世界遺産申請を修正することにつながるかもしれない」と、今後の本格調査の結果に期待している。

実際に見に行って来たヒト、発見。

解説がマニアだなー。でも、詳説付だと助かります。

丹生川とすべきところが高田川になっていたり

詳しすぎる。御読売新聞様は是非とも追加取材して訂正してもらいたい。

丹生川、高田川、鏑川と富岡製糸工場跡の位置関係

遺産だ! わーい観光だ! ここで儲けねばいつ稼ぐんだ!

遺構だ遺産だと騒ぐヒトの殆どが、それによって観光客増加という獲らぬ狸を数えてるヒトたちなので、地元としては遺構が実際にどうであるかなんて全く興味が無いみたいです。遺構がどうだったのか見てみたり、そこからどんな工業が行われどんな生活だったのかとかいうことはまるっきり無視しても、まだ来ぬ観光客を夢見て札束を数える妄想をしているのかもしれません。

上毛カルタで「日本で最初の富岡製糸」って憶えて言えるだけじゃ駄目なんだってば。「郷土のすばらしさを見つめ直し、ふるさとぐんまへの誇りと愛着を醸成」しなくちゃ。でもそれがニッポンの教育現場。「赤と黒 → スタンダール」って言える受験生は多いと思うけど、絶対読んでない。

ニッポンのおける「世界遺産」とは、観光誘客のためのただのブランドにすぎないのです。それでも、一連の遺産群に組み込まれた高山社については、ようやく教育に取り込むことになったそうです。地元の藤岡市だけだけど。

藤岡市教育委員会は新年度から、世界文化遺産登録を目指す市内の国史跡「高山社跡」や蚕糸業について、義務教育9年間で系統的に学ぶ高山社学(仮称)を市内全ての小中学校16校の教育課程に導入する。社会や理科、道徳、総合学習などで養蚕教育機関の高山社や創設した高山長五郎の功績を教え、高山社跡の見学 と蚕飼育を必修にする。

(後略)

上毛新聞ニュース 2013年1月7日(月) AM 07:00

でも、平和なニッポンは良い所です。笑いながらイエメン観光ができる日が来るのはいつのことでしょうか。イエメンの写真なんて、手元に1枚も残ってない。ファストフードは基本的にピザハットでマクドナルドは無い(牛肉を食べないから)、とかそういうどうでもいい情報しか憶えてない。当時は南イエメンだった気がするけど。


Posted in 群馬の話題, 遺跡遺産
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